経済大国イギリスで貧困層が急増した理由:政策転換の30年史

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イギリスが戦後の手厚い福祉制度から新自由主義へ転換する過程で、なぜ貧困と格差が深刻化したのか。経済政策の歴史的変化と社会への影響を解説します。

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戦後福祉制度から新自由主義への転換

イギリスは戦後、保守党と労働党が合意した政策枠組みのもとで、国家が生涯にわたる生活保障を実施する福祉国家を構築しました。しかし1970年代のスタグフレーション危機により、この30年間続いた福祉モデルが社会の安定を支える仕組みから、経済停滞の原因と見なされるようになります。その後の政策転換が、現代イギリスの深刻な貧困と格差をもたらした歴史的背景があります。

戦後コンセンサスと福祉国家の形成

戦後コンセンサスは保守党と労働党が合意した政策枠組みであり、「ゆりかごから墓場まで」という標語で、国家が生涯にわたる生活保障を実施しました。この福祉モデルは1970年代まで30年間続き、イギリス社会の安定を支えていたのです。

スタグフレーション危機と政策転換の背景

1973年のオイルショックによってエネルギー価格が4倍に高騰し、イギリス経済は高インフレと高失業率が同時に発生するスタグフレーション状態に陥りました。1976年には労働党政府が国際通貨基金から39億ドルの救済融資を受けるまで経済が悪化し、1978~79年の「不満の冬」では労働組合によるストライキが相次ぎました。

この時期、ロンドンのレスタースクエアにゴミが山積みされ、病院が救急患者以外を帰宅させるなどの光景がメディアで報道されました。これらの報道によって、イギリス社会が完全に麻痺しているという認識が国民に植え付けられ、30年間続いた福祉モデルが社会の発展に寄与せず、イギリスを蝕んでいるという見方が広まったのです。不満の冬の間に、福祉と労働者が国を破綻させたという認識が形成されることになります。

サッチャー政権による経済再編

1979年の総選挙でマーガレット・サッチャー率いる保守党が労働党に圧勝しました。サッチャリズムは政府が問題の解決手段ではなく、問題そのものであるという信念に基づいており、不満の冬の間に新自由主義というまったく新しいイデオロギーが国民に浸透していたのです。

サッチャー政権は完全雇用や経済成長ではなく、インフレを唯一最重要の標的として定めました。政府は通貨供給を急激に引き締めることで、インフレ対策を優先化したのです。

サッチャリズムがもたらした経済構造の変化

製造業の崩壊と地域経済の壊滅

通貨供給の急激な引き締めと高い交換レートにより、1979~83年の4年間で170万人以上の製造業従事者が職を失いました。サウスウェールズ、ウェストミッドランズ、イングランド北東部の炭鉱と工場が閉鎖され、数世代にわたって地域を支えてきた産業が崩壊したのです。地域経済は壊滅的な打撃を受けることになります。

金融ハブ化と経済的不平等の拡大

一方で、サッチャー政権はブリティッシュテルコム、ブリティッシュガス、ブリティッシュエアウェイズ、ブリティッシュスチール、水道電気施設など国家資産を民間に払い下げました。1986年のロンドン証券取引所の大規模な規制撤廃により、ロンドンは世界的な金融ハブへと変貌を遂げたのです。

しかし、この経済再編は深刻な不平等をもたらしました。ジニ係数が1979年の0.25から1990年には0.34へと跳ね上がり、1980年代と1990年代初頭を通して子供の貧困率が3倍にまで急上昇したのです。1997年にはイギリスの子供の貧困率がヨーロッパで最高水準を記録することになります。

ブレア政権の貧困撲滅政策と限界

福祉政策による一時的な改善

1997年に労働党のトニー・ブレア首相は「子供の貧困を終わらせる最初の世代」を目標に掲げ、貧困撲滅が国家の最優先課題とされました。1999年に導入された最低賃金制度は導入前の激しい反対を成功で覆し、その後保守党でさえ同調するようになったのです。

勤労税額控除制度により、低賃金労働者と子供がいる家庭の所得が国家から直接現金支給されました。2007年までに数十万人の子供と数百万人の年金受給者が貧困ラインを脱することができたのです。しかし、勤労税額控除制度は1980年代の低賃金構造を根本的には変えなかったのです。

住宅価格高騰と新たな貧困層の出現

1997年の住宅平均価格5万8,000ポンドが2007年には18万ポンドに高騰し、政府は低所得層の賃貸料を補助する形で対処しました。しかし2008年金融危機により金融部門からの税収が減少すると、銀行が融資を大幅削減し、中間層も賃貸市場に流れ込むようになったのです。その結果、賃貸料は再び上昇傾向を見せることになります。

緊縮政策から現在の生活危機まで

キャメロン政権の福祉削減と雇用の不安定化

2010年のキャメロン・オズボーン政権が労働党の税収を基盤とする成長モデルに終止符を打ちました。2012年の福祉改革法により、住居補助金、障害手当、子供手当などが集中的に削減され、イングランド北部とロンドンの貧しい地域が最大の打撃を受けたのです。

同時にゼロアワー契約が激増し、雇用主が労働者に1時間の労働すら保証しなくてよい状況が広がりました。予防サービスの予算が70%以上削減されると、事後処理費用が急増し、危険な状態にある子供のケアやホームレス支援などの費用が増加したのです。

経済的安定が一切保証されない不安定な労働社会が形成されることになります。不安定な低賃金労働、高い住居費、保育費用、福祉の縮小により、仕事をしていても貧困から抜け出せない構造的問題が生まれたのです。

ブレグジットとパンデミックによる格差拡大

2016年のブレグジット投票では、1980年代の経済構造変革から取り残された地域ほどEU離脱支持率が圧倒的に高かったのです。ポンド価値の暴落により輸入食料品の価格が急騰しました。

2020年パンデミック時には、高所得層は在宅ワークで貯蓄を増やした一方で、ゼロアワー契約労働者やサービス業従事者は失業や労働時間短縮に直面しました。2022年10月のイギリスの物価上昇率は41年ぶりの最高値11.1%に達したのです。

ブレグジットに賛成した低所得層が食料品価格上昇の最大の打撃を受けることになります。ブレグジット後の貿易障壁とウクライナ戦争により生活危機が深刻化し、エネルギー価格と食料品価格の上昇により、貧困世帯は暖房費を優先するために栄養価のある食べ物を諦めざるを得なくなったのです。貧困世帯は安価なジャンクフードに頼らざるを得ない状況に追い込まれました。

現代イギリスの貧困の実態

全人口の22%にあたる1,440万人が貧困生活を送り、380万人の子供が食事を心配しなければならない食料危機の状態にあります。トラッセルトラストが配布した緊急食料パック数は過去5年間で51%急増し、2025年には年間290万個に迫る配布が予想されているのです。フードバンクが日常化している現状があります。

21世紀のG7先進国イギリスでクル病や壊血病といったビクトリア朝時代の疾病が社会問題として浮上しているのです。ビクトリア朝時代の栄養失調が現代イギリスで再発生しているという深刻な状況が生まれています。

まとめ

イギリスの貧困と格差の深刻化は、戦後の福祉国家から新自由主義への政策転換がもたらした長期的な構造的変化を反映しています。経済の再編成により製造業が崩壊し、金融ハブ化による不平等の拡大、その後の緊縮政策、そしてブレグジットとパンデミックによる生活危機が累積する過程で、社会全体が深刻な貧困に直面するようになったと述べられています。

注意: この記事は動画内の発言者の主張を紹介するものです。記事としての評価や判断は行っていません。

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