親子の業の糸と家族の呪いを断ち切る三つの盾と鏡の言葉

この記事は約6分で読めます。

家族関係の中で受けた見えない傷が、世代を超えて恨みや比較の連鎖となる過程と、その糸を自覚し断ち切るための心の守り方が語られます。自分を守る勇気と新たな言葉が、家族の未来を変える視点として示されています。

この記事では、あるYouTube動画で語られていた内容をもとに、考え方やポイントを整理しています。

channel icon
登録者数 874人
120,240 回視聴 2025年12月10日
※2025年12月16日時点

家族の縁が呪いへと変わるとき

家族は支えにもなる一方で、見えない傷が積み重なると強い憎しみの場にもなります。この章では、遺産などの目に見える争点ではなく、世代を超えて受け継がれる「業の糸」という視点から家族の崩壊を捉えます。

語り手は、家族に会うだけで緊張し眠れなくなるほど追い詰められる人が増えていると指摘します。その背景には、親から子へ何世代にもわたり続く見えない「業の糸」があると説明されます。白い糸は愛と感謝、灰色は冷えた関係、黒い糸は恨みや嫉妬が絡み合った呪いの絆です。日本の家族の多くが黒い糸に絡め取られ、憎み合いが放置されている現状が問題視されています。


比較と言葉が生んだ業の連鎖の実例

家族の中で何気なく発された一言が、当人の一生を縛る呪いとなる過程を、具体的な姉妹の物語を通して見ていきます。比較と否定の言葉が、どのように深い恨みを固定化するのかが示されます。

72歳の山本三ツ子は「姉を50年以上恨み続けて疲れた」と語ります。7人兄弟の末っ子である三ツ子に対し、母は長女春子だけを賢く美しいと褒め、「春子の爪の垢を煎じて飲みなさい」と繰り返していました。7歳で病気になった際、春子から「病気ばかりで母に迷惑をかけている」と言われ、「自分はいない方がいい」という恨みの種が心に植えられます。父の死後、遺産を春子だけが相続し、母が「春子が一番苦労した」と告げた瞬間、姉への恨みは決定的になりました。語り手は、恨みの毒は愛されなかった感覚と認められなかった痛みから生まれ、それが子どもへも感染する点を最も恐ろしいと説明します。


業の連鎖に気づくことが変化の第一歩

自分が受けた傷を、知らず知らずのうちに子どもへも渡してしまう。ここでは、その事実に気づくことが、連鎖を止める最初の一歩になるという視点が語られます。

三ツ子は息子の健一と誠司を無意識に比較し、「お兄ちゃんを見習いなさい」と言い続けてきました。その結果、二人の関係は冷え切り、正月に形式的な挨拶を交わすだけになります。語り手が「息子たちを比べたことはないか」と問うと、三ツ子は絶句し、自分が受けた傷をそのまま子へ伝えていた事実に気づきます。出口王仁三郎は、このような恨みの伝達を「業の連鎖」と呼び、人の業は三代続くが、気づきがあれば断ち切れると説いています。自らも加害の一端となっていた現実を直視することは重い負担ですが、そこからしか変化は始まりません。


心を守る三つの盾という具体的な防御法

心を守るために提示される「三つの盾」は、見えない攻撃から自分を保つための具体的な防御法です。ここでは、心の結界・物理的距離・断る勇気という三つの姿勢が紹介されます。

心の結界で言葉を受け取らない練習

一つ目の盾は「心の結界」です。心の周りに光の壁をイメージし、身内の恨み言を自分のものとして受け取らない練習をします。30年以上「兄さんは得ばかり、俺は損ばかり」と責められてきた田中聖一は、弟の言葉を弟自身の痛みと理解し、この結界を実践しました。会う前に光の壁を想像し続けた結果、三カ月後には以前ほど傷つかず、落ち込みからの回復も早まったと語られます。身内の攻撃的な言葉を相手の痛みとして認識し直す姿勢が強調されています。

物理的な距離と断る勇気を持つ

二つ目の盾は物理的な距離です。毒の気を持つ人と長く一緒にいないよう、会う頻度を週1から月1、年数回へと段階的に減らす例が示されます。出口王仁三郎は、縁を切ることは新たな業を生むが、距離を置くことは自分を守る行為だと述べ、「縁は切れないが距離は選べる」という言葉が鍵になります。三つ目の盾は断る勇気で、「申し訳ないが今回はできない」と短く伝え、長い言い訳をしないことが勧められます。不要な言い訳や過度な罪悪感は自己否定につながるため、有害な関係には段階的に距離をとり、無理な頼みには短く断る姿勢が提案されています。


自分を守ることと自愛のとらえ直し

家族に距離を置くことへ罪悪感を抱き、「罰が当たるのでは」と恐れる心をどう扱うかが語られます。自分を守ることとわがままの違いを、自愛という観点からとらえ直します。

三ツ子は姉を拒絶したら罰が当たるのではないかと怯えています。語り手は、自分を守ることは罪ではなく、自分を守れない人は他者も守れないと伝えます。出口王仁三郎は「己を愛せない者は他者を愛せない」とし、自愛をすべての愛の始まりと位置づけます。誰かのために自分を犠牲にしていないか、心を守ることに罪悪感を抱いていないか、自問するよう促されます。語り手は、自分を守ることは権利であり、むしろ義務だと強調し、ここで語られる自愛は自己中心ではなく真の愛の出発点だと紹介します。


鏡の言葉で自分への呪いを言霊から書き換える

概念を理解するだけでは変化は起こらないとして、自分への否定的な言葉を優しい言葉に置き換える具体的な行動が提示されます。「鏡の言葉」というシンプルな実践が中心になります。

「鏡の言葉」とは、鏡の前で「私は愛されるべき存在です」と自分に向けて唱える方法です。続けて「私は十分です」「ここにいていい」と毎朝語りかけることが勧められます。自分への優しい言葉を1週間、1カ月と続けると、言霊の力によって長年の自己否定が少しずつ書き換わると説明されます。三ツ子も3カ月続ける中で、70年以上自分を責めてきたことに気づき、涙を流したと手紙に綴りました。日々の鏡の言葉によって、自分への呪いのような思い込みを言葉から変える取り組みが提案されています。


業の連鎖を止める決意と未来への影響

連鎖を止める選択は、今を生きる自分に委ねられているという視点から、決意が未来の世代へどのような影響を与えるかが語られます。小さな一歩が長い時間軸で描かれます。

三ツ子は姉とは適切な距離を保ち、再会時には心の壁を意識して言葉を受け流しました。その結果、初めて疲れずに済み、息子たちにも「比べてしまっていた」と謝罪し、家族関係に小さな変化が生まれます。語り手は、72歳の三ツ子が変われたのだから誰でも遅すぎることはないと励まし、出口王仁三郎の「今日という日は残りの人生の最初の日」という言葉を引用します。上の世代から受け継いだ業を下の世代に渡すかどうかを決められるのは今の自分であり、自分が連鎖を止めれば100年後の子孫が「あの時止めてくれた」と感謝するだろうと示されます。最後に「私は今日から自分を守ります」と書き、コメント欄で宣言することで覚悟を言語化することが勧められ、一人でも多くが業の連鎖から解放されることを願う言葉で締めくくられます。


まとめ

家族の中で受けた見えない傷が、言葉や比較を通じて世代を超える連鎖となる構図が語られています。そのうえで、自分を守る姿勢と自愛、心を守る具体的な工夫が、業の糸を弱める一つの見解として示されています。さらに、「今日の決意が未来の家族を変える可能性がある」という考えが提示されています。

注意: この記事は動画内の発言者の主張を紹介するものです。記事としての評価や判断は行っていません。

タイトルとURLをコピーしました